最近は米不足によってスーパーでお米が売り切れ気味ではありますが、炊飯器を持っていなかったので親からの連絡でお米がやばいことを知りました。しかし、改めてこういった問題に直面することで日本の食について考えさせられました。普段はお米を食べないのですが、ちょうどよい機会だったので生活を振り返って見つめなおしてみました。
というわけで改めて炊飯器を手放した経緯と得られた点について触れていき、炊飯器の必要性について考えてみようと思います。
そもそも毎日米を食べるのか?
自身の食生活を振り返ってみた時にスーパーの半額総菜を買っていたり、鶏肉と野菜炒めなどでサッと済ませています。また、おかずを単品で食べることはあってもご飯だけで食事を済ませることはないので、そこに気づいた瞬間から自分にとって「米は毎日食べる必要があるもの」ではなくなってしまいました。
手間と時間の比較
一人暮らしで誰かと楽しく喋りながら食事をするわけでもないので、家での食事に時間をかけるぐらいであればゲームをしたりYoutubeを見てだらだらする方が個人的には有意義だと思っています。たとえ10分であろうと準備と片付けに時間を奪われるぐらいなら、生産性が無いとしても人生の時間が増えるほうが得だという考え方です。
お米を炊く準備と片付けに約20分使うと考えた時に、その時間を無くせば週に140分も時間を獲得できてしまうので思い切って手放しました。
ストレスからの解放
準備と片付けに加えて、夏場は炊飯器にご飯を放置できず炊いた直後に毎回小分けにして冷蔵冷凍する手間が発生します。スペースのない1Kの極狭キッチンでの作業ストレスは半端なく、最初は節約の為だと割り切っていたのですがそもそも米を買わなければその分節約できるじゃないかと思ったわけです。
食べ過ぎの予防になった
もともと部活をやっていた名残で胃袋だけは大きく、食べようと思えば1食で2合ぐらいはペロリと食べれてしまう程食べることは大好きです。しかし当時のように運動もそこまでしていないので同じように食べていると当然のように太るため制限をかける必要がありました。ちょっと意識すれば改善できるようなことですが、この際思い切って根本の原因を断って様子を見てみることにしました。
炊飯器が無ければ米を買う必要が無い⇒強制的に環境を整えてしまうことで自分にとっての悪い習慣を断ち切る覚悟と信念を自身に突き付けています。
大体半年以上は経過しましたが全然問題なく過ごせています。
食費は結局変わらない
米をやめて食費がかなり安くなったかと言えば、ほぼ変わらずに食費は収まっています。なぜなら会社での昼食をコンビニやスーパーで買うようになったからです。それでも大体月20,000~30,000円ぐらいなので許容範囲内なので、むしろ昼食を準備する時間をお金で買っていると思えば安いぐらいではあります。
パックご飯で十分
ここまで色々と書いてはいますが、どうしても米が食べたくなる時はありますし米を完全に絶っているわけではないのです。なので家で食べたくなった時は備蓄兼消費用のパックご飯を食べることにしています。管理もしやすく災害にも役立つ便利なアイテム。たまにしかご飯を食べないならこれほど優れたアイテムはないと思っています。
何を重要視するかで選択肢が変わる
私の場合は自分の時間を増やすための手段として炊飯器を手放しました。炊飯器一つにしても、自分にとって必要なければ一度手放してみて様子を見ることで価値観や考え方を見直すことができるのではないでしょうか。
私も一人暮らしは炊飯器は必須と考えていました。ですが改めて生活を振り返り考え直してみることで、自分の人生の無駄を省いたりより豊かにしていくことができるんだと感じました。
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